小粋なくずかご

日々のことをつれづれに

選択肢があることの幸せ

 世の中で自粛が始まってから、我が家では基本的に家食になった。多くの家と同じように、これはなかなかうちでは厳しい。特に昼食である。大人は勤務先周辺で調達できていたし、息子は学校の食堂のヘビーユーザーだったし(させていたともいう)、娘は小学生として給食があったから。

 

冷凍食品やインスタントを使うにもだんだん限界がでてきたのだが、普段そんなにテイクアウトを使わない人間にとっては、すてきなテイクアウトリストが手元にない。それに、この状況になって初めてテイクアウトを始めた店もあって、なかなか情報が追いつかない。最後には子供たちも動員してテイクアウトができるよさそうな店を探しまくるはめになった。子供たちが見つけてきたものは、すべて予算上却下になったのだけれど。

 

この食べ物の重圧は、在宅勤務や休校(+外出することへの見えない圧力)が続くことによる閉塞感に輪をかける。何をするにしても自由な選択をできるというのは、とても幸せなことだったんだと気づかされる。それは食べ物以外でも同じ話。

 

100個以上のオプションから自発的に選ぶのと、5個にオプションを狭められた上で選ぶのでは気持ちの上ではまったく異なる。例え結果的に同じものを選んだとしても、若干感じるストレスが違ってくるのである。

 

最近は少しずつお店も開き始めたため、選択肢は増加傾向。自粛生活もそろそろ新しい生活にシフトしていかなければならないし、経済活動にも貢献をしなければという言い訳をしつつ、ずっと控えていた外食をついに解禁することにした。調べてみると、いつもの焼肉屋が今週から開いているという。これはぜひ行かねばならない、ということで、家族で久しぶりの焼肉を楽しんだ。予約なしでも大丈夫だったのは、まだ自粛ムードが続いているためなのだろう。

 

若干奮発してしまったと思わないでもないが、久しぶりの焼肉は楽しかったし、家ではない場所で食事をすると、また家族の会話も少し変わる。席が一つずつ離れていてスペース的に余裕があり、客が少ないことから店員さんがすぐ来てくれる状態であることが、久しぶりの外食の贅沢感を上乗せしてくれる。

 

梅雨どきでなかなか気分が晴れやかにならない中、イベントとしてはなかなかよかった。ただ、これをしょっちゅうできるかというと、やはり気持ち的にそこまで急には変えられないというのが現実である。少しずつにはなるだろうけれど、行動範囲を広げていこうと思っている。