小粋なくずかご

日々のことをつれづれに

辞めるのに正しい理由はあるのか

前の会社の同僚が、同じ会社に転職してきた。どうして辞めてきたのかを聞くと、特に前のところに不満があったわけではないけれど、もっと興味を持っていることがあり、こっちの方ができると思ったから移った、ということだった。

 

この時、正直私は彼を不憫だと思った。確かに彼の興味と組織の目標自体はあっているかもしれない。ただ、組織の実態が追い付いていないのである。前の組織である程度満足していたなら、彼が一大決心をして移ってきたのは間違いだったという可能性もあるのだ。

 

でも、想定と現実の違いに戸惑いながら、幻滅してモチベーションが下がるか、その中でも淡々と業務をこなすか、何かを変えようとするか、は個人の気概と嗜好の問題であり、これからのことは彼次第ではあるので、特に不憫に思う必要はないのかもしれない。そもそも前の職場に不満がなかったということ自体が本当なのかも、私には知る由もない。

 

転職というのは一定のリスクを伴うと思う。なぜそちらの会社に移りたいと思うのか、という志望動機は、考えるたびに頭を悩ませる。前述のように、想定と違う業務内容あるいは組織であることはありえるし、組織の構成員の要素はそこには入っていない。合わない人がいることだって考えられるのだ。それを乗り越えてでも転職したいときに、前の環境に不満がない人は非常に少数になるのではないかと思う。

 

中学生の時に部活を移ったことがある。1年生で所属した部活に興味が持てず、2年生の途中で変更を申し出たのである。そもそも3年間打ち込める部活を選択できた人は幸福かもしれないが、そうでない人がいるから幽霊部員などが発生するのではないかと思う。だから、変えたいと思えば変えればいいんだと考えた。

 

転部希望届の提出が必要だと言われ、理由の欄に「今の部に興味がもてないから、他のことをしてみたい」と正直に書いて提出したら先生に怒られた。次にやりたいことが見つかったからチャレンジしたい、というようなことを書かないといけないらしかった。そして書き直して提出。

 

大人になってから振り返れば、内申にも響くからそれなりの理由が必要だ、という意味での先生からの示唆だったのは分かるのだが、当時の私は不満だった。今の部に打ち込める情熱がないから、他のことだったら興味を持てるかもしれない、くらいで転部したいのであって、次の部がやりたいことであるかどうかは分からないのである。だいたいちょっとした部活見学で3年間を費やす部活を決めるのも結構な賭けだと思っているし、やる気がなくなって幽霊部員になるくらいなら、興味を求めて他の部に行くほうが行動力があるということにならないのか、と。

 

結果、残念ながら次の部にもそこまで興味は持てなかった。基本的に毎日参加したが、転部のような仕組みを使っている生徒は学校の中でも希少な存在で、一度でき上がった仕組みに後から入るのはとても難しかった。もちろん友達も多く所属していたので受け入れてはもらえたけれど、何か違和感のある存在であったかもしれない。この違和感は、内資・外資の会社の違いにも通ずるところがあると思うので、また別の機会に書きたいと思う。

 

とどのつまり、転職に大それた理由なんて必要なくて、要は気の持ちようと伝え方の問題なのだと思う。前面に出すのは避けたほうがよいだろうが、辞めたいと思えばそれが理由になると思う。そもそも満足していたら転職なんて考えないし、すべてに満足できる状況が不満という人もいるんだから。

 

次のところでうまくやっていけるかは、ある程度はギャンブルかもしれない。ただ、社会人が中学生と違うのは、3年間の時限期間ではないということである。もし合わなかったら、吸収できることを全部吸収し、実力をつけてまた次の段階に進めばよいのである。

オフィスにいかないとダメですか

勤務先では、コロナによる自粛期間中は在宅勤務が義務付けられていた。どうしてもオフィスに出なければならない用事がある場合だけ、偉い人の許可を取って出ることができるという仕組みであった。会社にある機材を使う必要がある場合や、やはりオフィスのほうがネット環境が強いので、途中でどうしても切れてはいけないオンライン会合などの場合は出社する必要があるだろうが、そういうことがなければ出てはいけない状態である。

 

ただ、世間で言われているのと同様に、このコロナ禍によって、オフィスに行かなくてもまったく支障がないことを社員が全員知ってしまったのである。しかも、コロナの期間中は、オンラインをフル活用したほうが効率的に働けると言わんばかりに会社はバーチャル活動を推奨していた。顧客ともオンラインでつながれば、移動時間も交通費も不要になるのだから、その方針は間違っていなかったはずである。

 

さて、少しずつ制限が解除されてくると、会社はまた違った悩みを抱えているようである。人数制限をかけながらもオフィスは再開されることになったのだが、社員がオフィスに出てこないのである。各部署で人数を決めて出てくるようにしたいというのが上の人たちの考えのようであるが、私自身がまず賛同できないし、部下からも、なぜオフィスに出なければならないのか、と質問される始末である。残念ながらその答えを私は持っていない。

 

会社の立場に立てば、せっかく便利な場所にお金をかけてオフィスを借りていて、社員同士のコミュニケーション促進という目的をもって、余裕のあるスペースも用意したりしているのに、肝心の社員がいなければ意味がないのである。

 

オフィスに行く場合の社員のデメリットとしては、

① 通勤にかかる時間とその間の感染リスク

② オフィスにいる間はマスクをしなければならないという煩わしさ

③ 会議室争奪戦再び

が挙げられるだろう。

 

個人的には①はあまりネガティブなインパクトを受けない。正確に言うと、影響はあるけれど、前と同じであればオフィスに出ることによる効率性が上回るのである。

 

ただ、その効率性も②があることによって大幅にダウンする。社員間のコミュニケーションが取りやすいから出てこいと偉い人は言うけれど、相手の顔も見えない状態で総合的にどこまで効率がよいと言えるかどうか。

 

そして、圧倒的なのが③。この数か月で、会議室を取らなくてもオンラインで相手の顔を見ながら会議をできる環境があることに慣れてしまっているし、オンラインの場合は会議室間の移動が発生しない。また、家であれば(家族構成などによって異なるが)、プライベート空間がすでに用意されている状態なのである。同じオフィスにいるメンバーとの会議ならまだオフィスに行く説明もできるが、東京-大阪間のメンバーの場合はもはや何の意味もない気がする。

 

ただ、週何回かは会社に行かないと怒られるかもしれない、という罪悪感だけで今後は出社することになりそうである。

 

こっそり思っている疑問としては、この在宅勤務推奨の中で、会社から支給される交通費はそのままもらっておいてもいいのかどうか、という点である。

選択肢があることの幸せ

 世の中で自粛が始まってから、我が家では基本的に家食になった。多くの家と同じように、これはなかなかうちでは厳しい。特に昼食である。大人は勤務先周辺で調達できていたし、息子は学校の食堂のヘビーユーザーだったし(させていたともいう)、娘は小学生として給食があったから。

 

冷凍食品やインスタントを使うにもだんだん限界がでてきたのだが、普段そんなにテイクアウトを使わない人間にとっては、すてきなテイクアウトリストが手元にない。それに、この状況になって初めてテイクアウトを始めた店もあって、なかなか情報が追いつかない。最後には子供たちも動員してテイクアウトができるよさそうな店を探しまくるはめになった。子供たちが見つけてきたものは、すべて予算上却下になったのだけれど。

 

この食べ物の重圧は、在宅勤務や休校(+外出することへの見えない圧力)が続くことによる閉塞感に輪をかける。何をするにしても自由な選択をできるというのは、とても幸せなことだったんだと気づかされる。それは食べ物以外でも同じ話。

 

100個以上のオプションから自発的に選ぶのと、5個にオプションを狭められた上で選ぶのでは気持ちの上ではまったく異なる。例え結果的に同じものを選んだとしても、若干感じるストレスが違ってくるのである。

 

最近は少しずつお店も開き始めたため、選択肢は増加傾向。自粛生活もそろそろ新しい生活にシフトしていかなければならないし、経済活動にも貢献をしなければという言い訳をしつつ、ずっと控えていた外食をついに解禁することにした。調べてみると、いつもの焼肉屋が今週から開いているという。これはぜひ行かねばならない、ということで、家族で久しぶりの焼肉を楽しんだ。予約なしでも大丈夫だったのは、まだ自粛ムードが続いているためなのだろう。

 

若干奮発してしまったと思わないでもないが、久しぶりの焼肉は楽しかったし、家ではない場所で食事をすると、また家族の会話も少し変わる。席が一つずつ離れていてスペース的に余裕があり、客が少ないことから店員さんがすぐ来てくれる状態であることが、久しぶりの外食の贅沢感を上乗せしてくれる。

 

梅雨どきでなかなか気分が晴れやかにならない中、イベントとしてはなかなかよかった。ただ、これをしょっちゅうできるかというと、やはり気持ち的にそこまで急には変えられないというのが現実である。少しずつにはなるだろうけれど、行動範囲を広げていこうと思っている。

マイナンバーカードの行方

特別定額給付金が振り込まれていた。昨今の状況で、もっと時間がかかるものかと思っていたので確認もしていなかったが、先月末には振り込まれていたようである。受付開始初日にオンラインで申し込みをしたからか。

 

オンライン申し込みに必要だったマイナンバーカードであるが、意外と受け取っていない人は多いようで、交付率は20%未満とのこと。給付金のことがあったので、今ではもう少し増えているかもしれない。

 

マイナンバーカードを使うのに必要なパスワードはいくつかある。今回は署名用電子証明書用のパスワードまで必要だった。確定申告をe-taxでするときと同じである。

 

今年に入ってから昨年分の申告のためにe-taxを利用した。昨年引っ越しをしたのだが、どうやらその時の手続きが不十分でマイナンバーカード関連のパスワードが無効になってしまっていた。住所変更はしたものの、何かの理由でパスワード変更をしておらず、すっかり忘れてしまっていたようである。確定申告時は再有効化をして無事に終了したのだが、それがなければ今回もオンライン申請はできなかっただろう。

 

コロナが問題になり始めたころ、同僚たちと確定申告関連としてマイナンバーカードの話をしたことがあった。世の中の交付率と同様、カードを発行しているのは私だけだった。通知カードがあれば大丈夫とみんな言っていたけれど、今回の給付金は郵送で申し込みをしたんだろうか。でもどうやら通知カードを今の効果を持って使えるのは5月で終わってしまったようである。マイナンバーカードの交付はぜひおすすめしたい。(コロナが落ち着いたら)

 

ただ、このマイナンバー、とてもではないけれど自分のものでさえ覚えられない。中国や韓国では、生年月日にランダムな数字が付番されたものが自分の番号となり、何かの時にもすぐに使えるらしい。これだけ用途を限定しているのだから、名前が人にわかるのと同じくらいのレベルでもよいはずで、マイナンバーをなぜそんなに使いにくいものにするのかがわからないと、疫学の教授も言っていた。

 

マイナンバーを含む日本の管理システムは、海外から見るととても異様なものらしい。マイナンバーといえど、年金や健康保険がつながっているわけではなく、それぞれが別の管理システムのもとで動いている。口座をつなげることだけでも大騒ぎになる始末。政府や官僚が強い意志を持って実行しないと、きっとつぎはぎの体制が続くのであろう。

 

すべてをつないで管理すると管理費が膨大になるから無駄だ、とどこかの番組でコメンテーターが述べていたけれど、それぞれのシステムが完全に独立していることによって、管理費や維持費もそれなりにかかっているのだから、結局は同じことなのではないかと思ってしまう。今だって、オンラインで申請されたものも結局目で確認する作業が発生しているそうなので、コメンテーターはそういう仕事なのかもしれないが、ある一定の見方だけで物を言って批判するのはどうにかならないんだろうか。

転職時のリファレンス

知り合いが転職することになった。同じ会社に属しているが、友達でも同僚でもなく、知り合いという言葉が最も正しいであろう関係で、知り合いになったのもかなり最近のことである。

 

そんな彼に転職先に提出するリファレンスの回答を依頼された。正直驚いた。どう考えても私は彼のことをほとんど知らない。リファレンスというのは、自分の仕事ぶりをよく理解している、信頼できる人に頼むものではないのか。

 

過去に私もリファレンスを人に依頼したことがある。同じプロジェクトで一緒に苦労した人たちである。自分で依頼して、記載してもらったファイルを自ら転職先に提出するというものだった。転職者本人の目を通るので、客観性の保持という点ではあまり適切とは言えないシステムではあったが、逆に言うとそれだけ信用している人にしか記載してもらうことができないようには思う。

 

一方で、彼の転職先のリファレンスは、登録するとメールで質問票へのリンクが送られてきて、直接回答するものだという。そして、彼はとても急いでいた。転職先も急いでいたようである。

 

本来は正直に自分の考える適格性を伝え、断るべきだったかもしれない。繰り返しになるが、私は彼の仕事をほとんど知らない。でも引き受けてしまった。彼は、よく知っている人には頼みにくいと言っていた。その時よりも彼の言動を見る機会が多くなった今では、ハキハキとした物言いや明るい性格の裏で、あまり成果が残せていなかったのではないかと思う。 

 

このことについては、いまだに気持ち悪さが残っているが、今までとは別の形の組織で一緒に活動していくことになっていたので、断った時のネガティブな影響も考えざるを得なかった。いつか逆に助けてもらうことになるかもしれないという打算がなかったわけではないので、人間関係というのはこういうものだと思うことにする。

 

引き受けた当日に質問票が送られてきた。それまでは、ほとんど知らない人間のキャリアについて自分が何を述べられるのかという悶々とした気持ちを抱えていた。

 

結果的に、私の悩みはあまり意味のないものだったと言える。なぜなら、ほとんどが選択項目で、その人と仕事を一緒にしたことがない、その人の業務はあまり知らない、などの選択肢が用意されていたからである。

 

回答はかなり事実に即して正直に書いた。理由説明などの文章回答欄も、嘘にならない範囲で適切に埋めたと思う。その結果として、私からのリファレンスは何も意味のない他人の回答になってしまった。本人には回答は共有されず、転職先にも回答者は特定されない、という記載を信じるのであれば、私はただ回答者を1人増やしただけである。ただ、最低人数は決まっていたようなので、転職先としては、例え少しであってもその人のために時間を割く人が存在しているという事実自体が大事なのかもしれない。

 

他の人も対応が早かったようで、翌日には彼の内定は決まっていた。彼は現在有休消化を楽しんでいるところである。

気持ちのリセット

海が好きである。潮の香りと水面の動きで、何も考えない時間が作れるように思うから。

 

関西ではコロナの騒がしさが少し落ち着いてきたこともあって、久しぶりの家族で出かける場所として海を選んだ。車で移動できて、密にもならない場所なら許されるだろう。

 

朝の海浜公園の人はまばらで、想定よりも強い日差しを除いては理想的な場所だった。ダンナの指導のもと、子供たちが釣りをしたり、網で生物採集をしたりするのを眺めながら、最近のできごとを振り返る。

 

子供たちの学校は6月から再開。通常授業ではないものの、日常に近づきつつある。中1の娘は早速学校生活を楽しんでいるようである。中3の息子は宿題の量にぶつぶつ言いながらも、やはり学校の再開と友達との再会の嬉しさが伝わってくる。この数か月間は、教育について不安を感じつつも、中高一貫校の対応のありがたみを感じる期間であった。

 

2か月以上家で過ごしていたわけで、こんなに家族で一緒に一つの場所にいたことはなかったと思い返す。一緒に過ごす時間が増えれば小競り合いの発生は避けられないと覚悟はしていたが、子供たちは少しは大人になっていたらしい。ぶつかり合いながらも、お互いに一定の距離を持つことを身につけているように思う。それは夫婦間でも親子間でも同様で、このコロナ禍の中で適度な距離感が形成されたのではないだろうか。何より4人での会話の時間を多くとれたことは、今後何か事件が起こった時の解決への基礎になりそうな気がしている。

 

ダンナは新しい仕事に就いてから一定の期間が経ち、この環境でも特に大きな支障を感じることなくこなしているようで、本人の口ぶりと横から見ているかぎりでは順調そうである。

 

さて、私である。現在の業務には若干の限界を感じている。やりがいは感じている一方で、組織というものは自分や一部の共感者だけでどうにかなるものではないと思う。このままがんばるか、新しいチャンスを探してチャレンジを始めるか。

 

今の仕事に移るとき、たまたま知り合いに運勢占いを紹介されて、義理もあって受けてみたことを思い出す。特に転職のことは伝えなかったが、これから少しの間、大変なこともあるかもしれないけれど、転職などは考えず同じ業務でがんばるのがよい、今職を変えると1年も持たないかもしれないから、と言われたのである。

 

その時は、おもしろそうな転職先をすでに見つけているのに何を言うのかと思ったのだが、まさか継続を悩む事態になっているとは。悔しいのでもう二度と会うものかと思う一方で、自分の今の運勢は気になるのでもう一度聞くことへの興味はある。ただ、広い意味でだとしても、こういう風に運勢を当てられたときに占い師に傾倒する人がいるのかもしれないと感じると怖いので、もう会わないことが正しい選択である気がしている。

 

と、以上が、海からの風になぶられながら思ったことの一部。リセットするのによい機会になったので、これから少しずつ徒然を入れていくくずかごにこの場所を使う。